親不孝をしていた東京生活のはなし

昨日に
引き続き

東京で
生活していた頃の
はなしです。

いま
振り返ると

特に
遅い反抗期に
あたる時期は

親不孝を
たくさんして
いました。

そのときの
ことを
振り返って
みますね。

親不孝をしていた東京生活のはなし

それでは、行ってみましょう!

まずは
今日の一曲から
ですね!

Winter Forest

さて
先日から

人生の棚卸し
ということで

20代の
頃のことを
振り返っています。

自分が苦労していた20代前半のことを思い出す

今日
おはなしする
トピックは

20代半ばくらいの
頃が
ピークだった
気がしますが

いまも
覚えている
ことでした。

遅い反抗期と親不孝

私は
反抗期が
遅かったです。

基本的に
良い子良い子で
育ってきたので

反抗期らしいものが
あまりなく

20代半ばくらいに
インターネットや
Twitterが
流行っていた頃に
反抗期に突入しました。

当時は
Twitterなんかにも
結構
激しい言葉を
ぶつけていて

アンチから
直接的な
攻撃もあり

かなり
荒れていました。

すごく
親不孝なことを
メールで言っていたなと
思います。

親から
東京の家に
手紙が届いたことも
ありました。

東京での
生活は
自由な反面
とても孤独で

そういったものが
心を
蝕んでいたのかなと
いまでは思います。

実家に帰ってからはじまった親孝行

2015年に
実家に
帰ってきて

ちょっと
してから

私は
親孝行を
しはじめました。

冬って
寒い部屋で
母親が
料理を作るんですが

朝に
部屋を
暖めておいたり
してあげていました。

お母さんが
不調なときに
もやし炒めを
作ってあげたんですが

痛く
感動されて

それから
というもの
我が家の食卓には
頻繁にもやし料理が
並ぶように
なりましたね。

そのとき
くらいから

料理も
覚えて

ちょっとずつ
家族に
振る舞うように
なりました。

最近は
父親と
音楽のはなしなんかで
コミュニケーションを
取る機会が増えて

昨日は
Spotifyの
プレミアム会員の
招待をしてあげました。

音楽が
好きな
父親なので
喜んでもらえた
みたいです。

こういう風な
生活に
なるまでも

とても
時間が
かかりましたが

少しでも
あの時の
恩返しがしたい

という
気持ちがあり

ゆっくりですが
返せていけてるのかな
と感じたり
しています。

東京で
孤独を感じながら
誰かに激しい言葉を
ぶつけるような生活も
無駄じゃなかったのかなと
思いますね。

まとめ

今日は
親孝行の
はなしを
しました。

まだまだ
ほかにも
埋まっている
トピックが
たくさん
ありそうなので

もっと
振り返ってみようと
思います。

それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき
ありがとうございます。

また明日です!

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