音楽で病気が癒えるとはどういうことなのだろう…?

今日は
治癒の
おはなし
です。

精神科の
治療の
中で

病気が
癒えるという
ことについて
考えていました。

今日は
具体例を
あげながら

音楽を
主軸とした
精神的な疾患の
治癒について

考えて
みますね。

音楽で病気が癒えるとはどういうことなのだろう…?

それでは、行ってみましょう!

さて
12月の
学位取得のための
試験に向けて
レポートを
書いています。

レポートも
まとまりつつあり

そろそろ
提出の
時期に
なるのですが

内容として
統合失調症の
治癒と
音楽との関連
のような内容を
少し書きました。

精神科の
治癒に
おいては

外科的治癒と
内科的治癒に
加えて
精神科的治癒が
あると
されています。

今日は
改めて
こちらについて
詳しく
書いた後で

具体的に
どういうことが
効果があるのか?

ということを
述べさせて
いただこうかなと
思います。

精神科的治癒とは?

さきほど
ご紹介した

精神科的治癒
というのは

糸川昌成先生
という
統合失調症研究の
第一人者の
先生が
おっしゃっていた
ことでした。

具体的な
内容に
関しては
こちらの記事に
まとめてありますので

ぜひ
ご覧ください。

左手の人生

具体的に
精神科的治癒が
どういうことなのか?
ということが
書かれているので
抜粋すると…

その昔、綺麗な板書をする学校の先生がいたんだそうです。ところが突然、くも膜下か何かで脳が麻痺してしまい、右手で字が書けなくなってしまった。リハビリを勧めるものの、元が綺麗な字を書く先生なので、あまり進まない。そんな時に教え子たちがやってきて「みんな先生の帰りを待っています!」と激励すると、その先生は左手で字の練習をはじめて、退院し、教壇に戻っていった。こんなエピソードがあるんだそうです。私が感銘を受けた「左手の人生」と言う生き方です。

https://tatsuyakitahara.com/archives/5559

いままでと
同じ人生なのかも
しれないけれど
違う場所に
還っていく

これが
精神科的治癒なんだ
そうです。

よく
新薬を
私の
子供に
処方してください

という
親御さんが
いらっしゃるんだ
そうですが

それは
内科的治癒の
おはなし
なんだなと
感じます。

精神科的治癒というのは
外科的治癒や
内科的治癒と
異なるものですが

確かに
あるものの
ようです。

私が
精神科的治癒を
最も感じたのは

音楽を
聞いているとき
でした。

音楽がもたらした精神科的治癒

交通事故の
ときの
体験について
改めて
書こうかなと
思います。

私は
昨年
2月に
交通事故を
体験しました。

元々の
統合失調症の
症状に
事故が
乗ってくるような
感じだったのですが

急性期に
整形外科に
行っていた
帰り道

音楽を
聞きながら
歩いていました。

自販機の
前で
飲み物を
買おうと
休憩していると

DEPAPEPEの
START
という曲が
かかった瞬間に

急に
視界が
拓けるような
感じがして

雲の
隙間から
光が差すような
イメージが
頭の中で
浮かんできました。

これを
きっかけに
随分と
精神疾患は
よくなったようです。

ある種
宗教的な
審美的な
体験かなと
思いますが

音楽は
こういうことが
起きるんだなと
とても
不思議な気持ちに
なりました。

最近
読んだ
論文に
音楽心理学の
研究者の
マイヤーの
言葉が
引用されていました。

ところで音楽心理学者マイヤーはその著書におい て、まず音楽体験に限定されない感情一般の心理学 的論考を展開し「将来のコースがわからない状態が始まると、それを明らかにしたいという強い心理的傾向が生じ、それは直ちに感情になる。それにもかかわらずわからない状態が続けば、人は疑いを持ち、 確信のない状態へと投げ込まれることになる。」「その人は自分が状況をコントロールできないと感じ始め、自分が持っていると思いこんでいた知識に基づ いた行動が出来なくなる。要するに不安、あるいは恐怖をすら感じ始める(もっとも、恐怖の対象は何 もないのだが)」と述べている。統合失調症とは直接関連はないにもかかわらず、ここで述べられる 験は前述した「自然な自明性の喪失」や「アンテ・ フェストゥム的意識」と類似している。そして、音楽がそういった不安および緊張を解決するプロセス を次のように述べている。「…音楽で経験する不安 による緊張は、実生活で経験する不安による緊張と 非常によく似ている。実生活でも音楽でも情動は本 質的に同じ刺激状況から生じる。すなわち、わからない状態であること、事象が将来どうなるかがわか らないために行動できないことである。これらの音楽経験は演劇や実生活それ自体の経験と非常に類似 しているので、特に力強く、効果的に感じられるこ とが多い。」「…不安による緊張を経験すれば、運命の神秘的な力の前では人間はとるに足らず、無力であると感じるようになる。…音楽においても同様に、 不安による緊張には未知のものに直面した人間が、 自分の無力さを自覚することが含まれている。」「… 日常の経験では、傾向の抑制によって生じた緊張は解決されないことが多い。そのような緊張は、無関係な出来事の洪水の中にまぎれてしまうのみであ る。この意味で日常経験は無意味で偶発的である。 一方、芸術では傾向の抑制は意味をもつ。それは傾 向とその必然的な解決の関係が明らかにされている からである。傾向は単に存在しなくなるのではない。 傾向は解決され、結論を出すのである。」「…音楽で は、同じ刺激、すなわち音楽が傾向を引き起こし、 その傾向を抑制し、さらに意味のある解決をもたらすのである」。

マイヤーはまた、音楽体験において「自我は文字通り音楽の自我と置き換わってしまう」とも述べて おり、これらと統合失調症の基本障害を照合すると、 審美的で迫真性を伴う圧倒的な音楽体験は、自然な 自明性を喪失した危機的事態を来している患者の我を取り込み、他のものに拡散させることなくそこに意味のある正当な解決を提供し、その結果その危機的事態を多少なりとも変容させることが出来るようにみえる。統合失調症の音楽療法でとりわけ陰性 症状や自閉の軽減が指摘されるのは、このように危機的事態を変容させそれに伴う不安、緊張、恐怖を軽減させて、その結果、自閉以外の手段の選択肢を取ることを可能にする方向に、器質力動論的なメカ ニズムに則って自我の再統合が行われるからなのか もしれない。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmm/1/1/1_1_13/_article/-char/ja/

ここで
述べられている
ような

審美的で
追真性を
伴うような
圧倒的な
音楽体験というのが

自分の
交通事故の
際に
起きたものと
考えています。

こうした
体験は
何度も
あるものでも
ないとは
思いますが

ある種
事故の
危機的な状況
というのが

精神疾患に
とっては
回復のための
伏線になったような
事例かなと
思います。

医師には

身体の
事故や怪我を
きっかけに
精神疾患が
軽くなることが
ある

という
説明を
受けましたが

どうやら
音楽が
果たした役割
というのは
私には
かなり
大きかったようです。

これが
音楽によって
病気が癒える
ということかなと
感じています。

さきほど
おはなしした

精神科的治癒
というのが
音楽によって
もたらされた
例になるかなと
思います。

音楽に
関していうと

交通事故後の
不安定な状態を
脱するために

よく
オルゴールを
聞いていたのですが

映画音楽の
オルゴールが
たまたまかかり

「エデンの東」
という
映画音楽の
オルゴールが
流れたことが
きっかけで

父親が
「懐かしいなぁ」

言ってくれて

そこから
家族の会話の
きっかけに
なったりしました。

音楽は
コミュニケーションを
促進するような
側面もあり

それも
治療には
大きくプラスに
働いたなと
感じています。

まとめ

今日は
音楽で
病気が癒える
ということで

具体的な
私の
体験を
元に
おはなししました。

統合失調症の
場合は
お薬による
治療が
メインとなり

そちらが
主軸で
進んでいくことと
思いますので

服薬は
ベースとして
あるものと
考えてくださいね。

最後に
告知に
なりますが

今日から
また
新しい楽曲が
サブスクに
出ています。

コマ遊び(オールドバージョン)

Spotify以外の
サブスクに
ついては

こちらから
お聞きください。

https://big-up.style/OfqDrK17U5

子供の
遊びを
意識した
オルゴールに
なっていますので

ぜひ
聞いてみて
くださいね。

それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき
ありがとうございます。

また明日です!

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