昨日の
ピアノを
習い始めた
きっかけの記事から
今度は
高校生の
時のことに
飛びます。
印象的だなと
感じているのは
高校の
時の
受験の
後のことです。
今日は
その後の
ことについても
ちょっとだけ
おはなししますね。
受験の「全人格を否定されたような感覚」を癒してくれた音楽
それでは、行ってみましょう!
さて
お盆休みに
入りましたので
少し
連載で
人生の
棚卸しを
またしています。
昨日は
小学生の時に
ピアノを
習い始めた
きっかけについて
おはなししましたね。
そこから
時は経ち
中学生を経て
私にも
高校受験の時が
やってきました。
勉強を
していなかった
中学生時代の
ツケのようなものを
感じつつ
その時は
やってきました。
合格掲示板に自分の番号はありませんでした
そこそこの
成績だったのかな
とも
思いますが
高校受験を
ここら辺で
一番
頭の良い高校で
受けました。
合格発表の日
深志高校まで
合格の番号を
見にいったんですが
私の番号は
ありませんでした。
その時
私は
全人格を
否定されたような
感覚
というのを
はじめて
味わいました。
当時は
難しい問題を
出した
県の
教育委員会を
とてもうらんで
いましたね。
中学生は
多感で
不安定な
時期で
同じように
受験に
失敗した
兄が
高校を
中退したり
していました。
家庭環境も
とても
不安定で
ストレスが
高かったなと
思います。
いまでは
あれだけ
勉強を
さぼっていれば
落ちても
無理はないよな
とも
思うんですが
しゃべっていれば
いいだけの
生徒会長と
違って
風紀委員長としての
仕事は
大変に
忙しかったです。
自分の
キャパを
超えていたのかも
しれないですね。
「魔の二週間」を経て高校へ
ここから
私は
自分で
「魔の
二週間」
と呼んでいる
時間を
過ごすことに
なります。
詳しくは
こちらの記事に
まとめてありますが…
ここから
なんとか
二番目の高校に
現役で
受かることが
できて
高校生活を
なんとか
スタートさせることが
できました。
応援練習とGR
私の
母校には
応援練習
というものが
ありました。
なぜか
クラスメイトの
指名もあり
応援団に
入ることに
なり
活動を
していました。
ちょうど
受験の
ストレスも
かなりあって
食事も
喉を通らないような
危機的な状況に
いました。
こんなことを
していて
意味があるんだろうか…
と
虚無に
なりながら
応援練習に
参加していた
ある日
練習が
終わったあたりで
音楽室から
GRの
コラール部分が
流れてきたことが
ありました。
この曲に
いたく
感動し
また
吹奏楽が
やってみたい!
という
熱い想いが
湧いてきたのを
覚えています。
そこから
少しずつ
活力を
取り戻して
いきました。
続きます
今日は
高校生の時に
印象的だった
ことを
思い出して
みました。
あの時に
GRを
聞いていなかったら
どうなっていたのか
想像もできません。
音楽の
力って
すごいなと
思うばかりでした。
明日は
高校生の時の
吹奏楽部の
活動について
書いてみたいと
思います。
それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき
ありがとうございます。
また明日です!