こんにちは。一つ前の記事で「いまの時代は不安を感じているのが普通だ」というひろゆきの言葉をご紹介しました。今回はそんなことに焦点をあてた記事です。
ガン治療の現場から
ガンの治療の現場では「危機はチャンスだ」とよく言われます。何故でしょうか。
皆さんは日々何気なく過ごしているかもしれませんが、大きな病気をすると、いくつかの柱が倒れそうになるんですね。ガンはこのうち、時間の柱が倒れそうになることが多いです。これは皆さんの自立を支えているものです。身体的、精神的に自分のやりたいことができなくなること、それが大病を患うという体験なのかもしれません。
もし明日、同じ生活を続けられないのだとしたら、というのは自分を変える大きな力になります。これが「危機はチャンスだ」ということなのかもしれません。実際、大病をして志が変わった人はたくさんみていますし、私もそうだったので、人生にはタイミングもチャンスも平等にあるのだなと感じています。
先を見通す
絵のうまい幼なじみがいるんですが、彼も大きな病気をしたことがあったようです。中学の同級生だったんですが、大学生になって会う機会があり、話を聞いてみると先読みの話になりました。
先読みというのは、次はこんなものが流行るとか、こんなものが売れるとか、そんな先のことを予測する行為ですね。これ、面倒くさがる人が多いです。先のことなんて考えても仕方ないだろうと思う方もいますが、先を読んでおくと、次に備えることができます。いま売れているものを考えるのも大事ですが、商品設計には流行もあり、今売れているものを5年後にだしても売れるかどうかはわからないですよね。そんな時のために先を読むということが必須になってきます。
先程のガンの話はどちらかというと自分と向きあうというはなしなのですが、こちらは世の中の需要を予測するというはなしです。この二つのやりたいこととやるべきこと、やれることの接地点というのが次にできるアクションになってきますね。
コロナ禍で大きく世の中が変わり、先の見通しの立てにくい世の中になりました。パラダイムシフトといいますが、世の中が変化して常識だったことが通用しなくなるタイミング、それが今来ています。
不安を力に変える
過去の私の体験から、なのですが、不安を力に変えることは可能だと感じています。ちょっと昔話にお付き合いください。
高校三年生の春に私は学校を不登校になっていました。ぼんやりと将来に不安があり、「いまの自分には何もできない」と感じていたのです。日々、学校に行くことができず、単位を落とすギリギリになって、当時の部活の仲間に狭い部屋で泣きながらはなしを聞いてもらったことがありました。
先輩からいじめられていたことや、自分のプライドを見直す機会があり、部活に復帰できた私は学校にも無事に復帰できました。部活をやっていなかったら学校もやめていたかもしれませんね。大きな変化があり、部活も夏の大会までやりまして、勉学のほうも難関大学の現役合格を果たしたのです。
不安を力に変える時、必要なのは、小さく一歩踏み出すことなのではないかなと思います。今思うと、あの時の不安というのは、精神医学的なもので、統合失調症の症状の現れだったのかもしれないといまでは思うんですが、一歩ふみだせずやめていく人もいました。
象徴的だったのは、受験を理由に部活をやめた女の子が推薦で大学に合格し、一般入試を受けなかったことがあり、部活をやめたことがプラスになっていないことがありました。多くの人が進路に悩む中、抜け駆けをして、努力も苦しみも味わわないそんな姿勢に共感する人はおらず、私もそうなんですがもう仲間という意識はその女の子にはない状態です。受験を理由にやめたのであれば、難しい大学を受けるとか、せめてセンター試験やペーパーテストを受けるくらいはして欲しかったものですが、楽な道を選んだ姿勢には反発の声も多かったようです。
私は部活に復帰した後に勉強を再開し、現役で上智大学の心理学科に合格しました。当時の倍率は14倍ほどでした。部活を続けてがんばれたことが学業にも大きくつながり、成果が出たように思います。部活の仲間で同じパートの男子は医学部に合格するなど、みんな頑張ったなと感じました。
小さく一歩踏み出す
最近思うのが、こんな状態だからこそかもしれませんが、日常以上のものって生まれないんだなと感じています。社会人になっても、通過儀礼的に学生時代のテストを思い出すような出来事というのはありますね。そんな時のために、いま、一歩を小さく踏み出せるかどうか、それにかかっている気がします。
今回は不安を力に変えるというおはなしでした。実践できることからやっていきましょうね。
それでは!
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